PARADIGM SHIFT ~cenjue innna, cenjue ciel~

てんえんのふたつぼし
天淵の双つ星

作:kairi イラスト:うやま

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 ある日、魔法使いの少女が住む家から青い鳥が逃げ出した
 少女が鳥籠の中で大切にしていた、とてもかわいらしい幸せの青い鳥
 少女は識っていた
 鳥はとてもかよわく、屋根がなくては雨風に打たれ
 自分の庇護なくては食料もまともに調達できずに、獣にも襲われてしまうと
 そんな青い鳥のことが不憫で、憐れで、かわいそうで
 少女は青い鳥の幸せを取り戻すべく、鳥籠を抱えて家を飛び出した

 青い鳥が逃げた先には森があった
 美しく伸びる枝葉は、まるで肌を焼く太陽から私を護ってくれているよう
 でも今は、私の目から鳥の行く先を眩ませる障害物でしかない
 邪魔なので、少女は魔法で森を焼き払った

 青い鳥を追い続けた先には川があった
 きらめく水面は、まるで日の光を浴びて踊る天然の万華鏡
 でも今は、私の駆ける足を止める冷水でしかない
 邪魔なので、少女は魔法で川を干上がらせた

 ふと空を見ると茶色の小鳥が飛んでいた
 はためかせる両翼が、風を切りながら遠くの空を目指す
 でも今は、青色を探す私の気を散らせる畜生でしかない
 邪魔なので、少女は魔法で小鳥を撃ち落とした

 駆けた先には街があった
 賑わう市井が、世界は優しく温かいものであることを教えてくれる
 でも今は、物珍しさから青い鳥を付け狙う俗悪の溜まりでしかない
 邪魔なので、少女は魔法で街を吹き消した

 やがて少女は青い鳥を見つけた
 行きずりの少年から豆をもらい、青い鳥は頬をいっぱいに丸くしていた
 でも今は、もしかしたらその豆には毒が入っているかも知れないから
 念のため、少女は魔法で少年を八つ裂きにした

 ようやく鳥が鳥籠に戻ってきた
 少女は嬉々として平らに均してきた道を引き返す
 お前は私と一緒にいるのが絶対シアワセに決まっているんだからね?と
 安心した、とても朗らかな笑顔で少女は青い鳥に語りかけていた

 その家には、魔法使いの少女と一羽の青い鳥が住む
 鳥籠の中の青い鳥は、今日も絶対に幸せだった

 固い鱗の肌を持つ女の子
 村中から気味悪がられている女の子
 その肌のせいで、どれだけの悲しみを背負ってきたか
 少女はいつも一人で泣いていた

 そんな少女を慰めてくれる子がいた
 それは蛇の肌を持つ男の子
 その男の子はいつも凛としていた
「きっと悪いことばかりじゃないよ」と

 ある日、村に悪いオオカミがやってきた
 藁の家、枝の家、でもその村にはレンガの家はない
 蛇の肌の男の子が呟いた「レンガくらい固いものがあれば…」
 少女は、自分の肌がレンガよりも固いことを知っていた

 少女はオオカミの前に躍り出る
 大きく開かれた顎が少女の腕に噛み付いた
 するとオオカミの歯は脆くも砕け落ち、驚いたオオカミは尻尾を巻いて逃げていった
 蛇の肌の男の子が目を輝かせて喜んだ時、少女は初めて自身の肌を喜んだ

 私の肌は何物にも貫けない
 生まれ持ったこの醜い鱗で、私は私の大切なものを護っていこう
 少女がどんな脅威にも怯まず立ち向かい続けた時
 少女の鱗は星のように美しい輝きを放ったという

「ねぇ、イリヤ!」

「…………」

「ねぇ! ねぇったら!」

 ダイブ屋からスラムの家まで戻る、その道すがら。
 何度呼びかけても無言のまま――どうやったらそんなスピードが出せるのか、イリヤは私が小走りになってようやく追いつけるくらいのペースで、すたすたと私の前を歩き続けていた。

「ちょっ、待ちなさいっ、てっ!」

 このまま追いかけっこを続けては私の体力がもたない。かと言ってイリヤに置いていかれてしまうのも嫌だった。
 私は決断する。じわじわと削られつつある体力のほとんどを擲ってでも、ここは賭けに出るしかないと。

「そっちがっ、その気ならっ!」

 イリヤの手を掴んでやる。そのために、私は頭の中のギアを小走りから大走りへと一気にシフトして加速、イリヤの背に肉迫した。
 いくら速くても相手はウォーキング。ランニングに勝てるわけがない。
 しばらく息を止めていれば、彼我の距離はもう身体ひとつぶん。これなら掴み損ねることもない。後は腕を伸ばすだけ。
 掴んでしまえばこっちのものだ。なんせ私はおねえちゃんだ。そっちがスピードならこっちはパワーで対抗してやる。
 などと勝利のビジョンを描きながら伸ばした腕は、次の瞬間、まるで当然のように空を切った。

「ふん」

「鼻で笑った!?」

 イリヤは軽く振り上げた腕を元の位置に戻す。まるで何事もなかったかのように。一瞥さえくれることもなく。
 なんて無駄のないあしらい方だろう。エネルギーの使い方が根本から違うような気がする。私は妹のそういう振る舞い上手なところを間近に見て、姉として感心するばかりだった。
 そうじゃない。私は諦めない。どうしたって諦めてやるものかと、今度は妹の脇腹めがけてぎゅいと腕を伸ばす。
 するとイリヤはそれをぴょんと跳ねて回避した。私はようやくムキになって、どこでもいいから掴んでやろうと腕を伸ばし、手を広げ、その都度指は空を切り、肌は風を感じた。
 息が切れる。汗がきらめく。それでも続くネコとネズミの追いかけっこは、スラムの家にたどり着き、ようやく追い詰めたイリヤの前で、私が「ぜぇ」と膝に手をつくまで続いた。

「もっ、もう逃げられないっ、わよっ、はぁ、はぁ」

 汗だくで見上げる私を、イリヤは冷めた目で見下ろしていた。
 私は一瞬その眼差しに凍えるものを感じたが、この期に及んでそんなものは知ったことではないと、自棄っぱち気味に両手を開いて突撃した。

「やぁっ!」

「ふん!」

「あれぇっ!?」

 瞬間、視界がぐるんと回って、気づいたときには、私は天井を見つめていた。
 私はイリヤを突撃ついでにベッドに叩き込もうとした。その私が今、ベッドに叩き込まれて天を仰いでいる。
 いつどこで上下が逆転したのか、平凡な私の運動神経では解析もままならない。
 しかし今をして、タイミングがいつだとか、そういう話はどうだってよかったのだ。
 なんで私はイリヤにうずくまられているのだろう。
 それも強い力で圧迫されている。お腹のあたりをぎゅーっと。

「な、なに、なんなの!? どゆこと!?」

「後の先ってやつ」

「ご、ごの……?」

「誘い込んで疲れさせる。そういう狩りの仕方もあるんだよ」

「わたし、狩られたの!?」

 私はじたばたと身をよじる。身体が少し左右に動いただけだった。私は完膚なきまでに組み伏せられていた。
 お腹を押さえつけられたくらいで? と思うだろう。けれどそこにイリヤの巧妙さがあって、彼女は私が抵抗の兆しを見せると、それにすぐに反応して鳩尾に頭を押しつけてくるのだ。
 私は苦しくて動きを止める。イリヤはリラックスする。抵抗するとまた頭を押しつける。私は苦しくて動きを止める。その繰り返し。
 そもそも抵抗しようと腹筋に力をこめたところで、私のプニプニはややプニになるくらいで、状況を打破するものになるはずもなく……ただただ悲しいだけだった。
 ちなみに両手は当然のように封じられている。手首をがっしりと握りこまれて、何か体術的なツボでも突かれているのか、手を握ろうにもまったく力が入らなかった。

「わ、わざわざこんなことしなくても……その、抱っこくらいなら、言ってくれれば……!」

「やだ」

「は、はい?」

「つまんないから」

 イリヤは私のお腹に顔を埋めたまま言う。
 口がもごもごするのがくすぐったくって、私は我慢ならない声を噛み殺すのに必死になった。

「いっ、いや、だからっ、遊ぶんなら遊ぶで、つきあってあげるし、」

「ぶるぶるぶるぶる」

「イヤぁーーっ!? くっ、あはっ、わかってっ、やってるなっ! やめっ、ぎゃーーははっ!!」

 息を思い切り吹くことで起こる唇の振動。それを用いたくすぐり技をゼロ距離で喰らい、私は死んだ。
 そして生き返って、また死ぬ。生き返って、また死ぬ。人道に背く儀式が延々と繰り返される。生殺与奪、活殺自在の権利は望む者にこそ与えられるというのか。蹂躙される者はただ神の裁きを待つことしかできないのか。これこそが弱者の現実。これこそが強者の摂理――。
 そんなこんなをして。

「はぁ、はぁっ、げほっ、ごほっ…………気ぃ、済んだ……?」

「まあまあかな」

「そう……それは、よかった……」

「嬉しいような、苛つくような」

「え……?」

 涙ぐんで歪む視界に、顔を上げたイリヤが映る。

「そんな気持ちなの。自分でも、よくわからない」

 憮然としながら、困惑しながら、何かを期待するような。
 色んな感情をない交ぜにして出来た、それは今までで一番人間らしい顔。

「いいのよ、わからなくても」

「いいの?」

「ちゃあんと向き合ってさえいれば、今はそれでいいの」

「でも、おねえちゃん、わたしが怖くない?」

「こわくないよ。今がイリヤの自然なの。もやもやしたのは、ぶつけていいの」

「そう、なんだ。もやもやするのが自然、なんだ。……うん、わかった」

 瞬間、とても安心した表情をして。
 イリヤは眠るように目を閉じて、その顔をまた私のお腹に埋めた。

「ぶるぶるぶるぶる」

「あーーーーっ!? 鬼ぃ、あくまーーっ!!」

 *

 アデルのお腹の肉は、噛めば切れそうなほどに柔らかかった。
 けれど噛んだら痕になって怒られるだろうから、私はそれをしない。
 私は噛みたいのか? きっと噛みたい。
 なぜ噛みたいのか? アデルを私のものにしたいから。
 少しずつが重なって、緩んでしまった頭のネジ。外れて落ちてしまったらどうするのだろうという恐れと、おねえちゃんがいるから大丈夫だという安心感が、同じだけ胸の中に充満して膨らむ。
 ただ、どうしても受け容れられないものが私の中にはあって、私はきっとそれが原因で怒り続けていた。
 この気持ちを解消する術はあるのだろうか。
 アデルの、おねえちゃんの気をこちらに向かせる方法は。
 ――心の中から、いじる?
 その最低の発想に歪な笑みを浮かべた私を、私はもう断罪することができなかった。